「Youtube対談会」とは?
Youtubeという動画共有サイトで、動画を検索した際に、Youtuberの動画にハマることも多いだろう。Youtuberは、芸能人に比べれば、身近な存在であるとともに、「画面の中の人」の域を出ないため、身近ではないとも言える。したがって、「遠いわけでも、近いわけでもない」存在として、Youtuberが認知されているのではないかと考えている。
そのような状況の中において、「Youtubeに出る」という体験は、きわめて貴重なものになる。Youtubeに出るということは、チャンネルを開設しなくても出来ることだ。知り合いのYoutubeチャンネルに映ることで、そのチャンスを得ることができる。
僕もひょんなきっかけで、16歳で東大に合格したAI研究者韓さんのYoutubeチャンネル「こじつけ男子カリス」にて、対談をすることになった。テーマは、「死の自己決定権」・「英語の学習方法」・「AIは医師を代替するのか」だ。そこで気づいたのは、社会人になると「大学のゼミ」のような環境がなかなか無いということだ。
忖度だらけの会議や、利害関係でつながる人間関係の中においては、「論理をぶつけ合う」ことは非常に難しいことだ。「論理をぶつけ合う」機会を創出するのが、Youtube対談会である。Youtube対談会においては、Youtuber同士だけでなく、Youtuberと一般の人の対談もしている。各々でテーマを決めて撮影するので、非常に面白い。Youtube対談の参加者は、「高い臨場感」を共有するために、ラポールを築くこともできる。
Youtubeで対談することが「学び直し」につながる
自分が考えていることは、自分にとって「当たり前」であっても、他の人からしてみれば「当たり前」でないこともある。そのことは、他者からの質問によって、はっきりとする。
Youtube対談をすることで、目の前の対談者が「なぜ、そのように考えているのか」について、興味を持ち、質問をする。といったことをすると、目の前の人との相互交流が進んでいくのだ。それを繰り返すことで、お互いの意見が止揚され、あらたな発見があるのが魅力である。あらたな発見により、知識欲が刺激される。「何かを知りたい」という気持ちが、今後の行動に変化を及ぼす。「外発的動機付け」ではなく、「内発的動機付け」によって、学習をしたいというモチベーションが引き起こされる。したがって、対談に参加した方は「人にやらされている感覚」がないため、モチベーションが目減りすること無く、自発的に学んでいくことになる。
小学校~高校時代の「宿題」や、社会人になってからの「研修」においては、「どこかやらされている感覚」が無かっただろうか。そして、「宿題」や「研修」を楽しみにしていた人は、ほとんどいなかったのではあるまいか。勉強はさっさと終わらせて、遊びに行きたいと思うのが関の山である。
だからこそ、学び直しは「遊び」の形式を用いるべきである。社会人になってからだと、いわゆる「大学入試」のような系統的な試験を受ける機会が無くなるので、「自ら機会を創り出さ」なければ、実りのある学びを得ることができない。
「松下村塾型」の教育モデルが「人生100年時代」を生きる術となる
Youtube対談をすることのハードルは高くない。大学教授のような専門知識がなくとも、自分が持てるだけの知識や経験を用いて、対話をすることに意味があるからだ。だからこそ、自分にとって何が分からないのかが、はっきりとするのだ。集団授業を聞いて分からないような内容も、個別指導を受けると理解が出来るように、より「自分ごと」として課題を捉えるようになる。
「人生100年時代」という言葉があるように、長い人生を「どう生きるか」が、個々人にとって切実な課題となっている。既存の知識では捉えられないような状況に瀕した時に、どのようにして、新しい状況を切り開いていくのか。
この答えは、幕末の私塾として有名な「松下村塾」がモデルとして挙げられる。身分の隔たりがなく、あらゆる人々が学ぶことができるという方針や、塾生間の討論が授業形式に取り入れられていたという点が、私が理想とする「学びの形」であるといって過言ではない。
Youtube対談会からも、次世代の日本を牽引する人材を輩出することができれば本望だ。この文章をお読みになった方とも、是非とも対談をすることが出来ればと思います。