「都市」と「音楽」と関わって
皆さまはじめまして。齋藤正樹と申します。私はこれまで「都市社会学」という学問の研究を行いながら、デベロッパーでのコンサルティング業務や自治体シンクタンクにおける研究員など、主にまちづくりの仕事に関わらせていただいてまいりました。ところが6年ほど前に、ふとした出会いをきっかけにピアニストとして活動することになり、現在はまちづくりや教育に関わりながら、音楽を主たる仕事とさせていただいております。
都市の研究者、まちづくり畑の人間が突然「音楽の世界に」ということで、皆様から見れば非常に突飛な転身にも見えるのではないかと思います。しかしながら、私自身にとって「都市」と「音楽」は物心がついたころから非常に身近にあった二つの関心事で、その間にギャップは全く存在しません。皆様に私という人間を知っていただくためにも、私の前歴を少々お話いたします。
摩天楼、カレン・カーペンターの声に魅せられて
私は幼少期より地図が大好きで、4~5歳のころから地図さえ与えておけば大人しいという子どもでした。但し、地図上で気になる場所があると確かめずにはいられないタチで、勝手に出かけていっては親に怒られる、ということを常に繰り返しておりました。そんな中、父の転勤でアメリカに住むことになり、シカゴとニューヨークという大都市で小学生時代を過ごします。この2つの都市に共通するのは摩天楼です。高層ビル群が描くスカイラインの美しさに、少年の私は心を奪われました。それ以来、私の興味は常に大都市に向けられることになります。
10歳の時に日本に帰国することになったのですが、日本の教育は私の肌には全く合いませんでした。アメリカで当時通っていた学校は、私の進度に合わせて個別に教材を与えられたので、授業で退屈することはありませんでした。しかし、日本では皆に合わせるのが常識です。その常識を知らなかった私は「退屈なので本を読んでいてもいいですか?」などと口走ってしまい、その後どのような目に遭ったかは皆様のご想像にお任せいたします。
この退屈な学校の時間を過ごすためにやりだしたのが「架空の都市づくり」でした。そこで、ひたすら架空の都市の地図を書いていくようになりました。地図には鉄道のダイヤを引いたり、さらにリアルさを求めるために百貨店やGMSの売り上げなどをすべて調べたりなどして、すっかり私のオタク心に火が付いてしまい、その量はノート30冊分にも及びました。
一方、音楽の方は(私はよく覚えていないのですが)3歳のころに自分で「音楽をやりたい」と言い出したらしく、ヤマハの音楽教室に通うことになります。そこで音符を読んだり、聴音など、音楽の基礎的な能力を身につけました。しかし、音楽っていいなあと思うようになったことを覚えているのは6歳のころ、アメリカに住むようになったばかりの時にラジオから流れてきたカーペンターズのカレン・カーペンターの声でした。ちょうど彼女が拒食症で亡くなってそれほど経たない頃で、盛んにラジオで流れていたのです。それをきっかけに四六時中ラジオをつけっぱなしにする洋楽かぶれ生活がはじまり、その後はロックなどにも熱中していくことになりました。
ピアノはアメリカでも習っていて、特にニューヨークで習っていた先生は非常に熱心な日本人の先生でした。発表会をカーネギーホールのリサイタルホールで行ったり、スタインウェイの本社のロビーで行ったりと、今考えてみたらとても贅沢な環境の中で音楽を学ぶことができたと思います。スタインウェイ社に行って、たくさんのピアノを夢中で弾いたことが今の自分の音楽の基礎となっています。また、先生から誕生日に毎年いただいていたのが、今では伝説のピアニストと言われるヴラディーミル・ホロヴィッツのCDでした。
その頃の私はピアノは習っていたものの、興味があったのはロックやポップスでした。しかし帰国後も日本のポップスなどにはあまり惹かれず、暇つぶしにクラシックを聴き始めたところ熱中していくことになりました。
「好き」の力を引き出すべき
これまでの人生を振り返ると、私にとって都市と音楽は「好き」であることが最大の共通項であるといえます。とかく日本人は「自分がやりたい」「好き」を生業とすることを嫌う傾向があるのではないでしょうか。好きなことは食べていくことの余剰でやりなさい、という価値観が根強いように思われます。しかし、それは社会全体を考えた上でも非常に勿体無い考え方だと私は思います。
2000年代に入ってから欧米でもとても注目された「創造都市論」というものがあります。クリエイティビティ溢れる人材をどれだけ惹きつけられるか、ということが今後の都市や国家の命運を握っていくということが言われ、21世紀に入り20年近くが経った現在、それはすでに現実のものとなりつつあります。
クリエイティブ且つイノベーティブな発想は「好き」がなければ絶対に生まれません。皆が仕事をする動機を「好きだから」と堂々と答えられる、そんな「好き」を基盤にした社会を作っていけるかどうかが、今後の日本の未来を左右するのではないか。そう考えてやみません。