【観の目シリーズ】 縄文ライフスタイル『日本人であることの意味』

著者:田村新吾(株式会社ワンダーワークス代表取締役)

【観の目シリーズ】 縄文ライフスタイル『日本人であることの意味』

宮本武蔵が残した兵法書である「五輪書」。その水の巻「兵法の目付といふ事」に次の一節があります。「観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専らなり」。「見」は見えるものを見る目ですが、「観」は見えない真相を観る目です。「心眼」という言葉がありますが、肉体の”眼”ではなく心の”目”で観よということです。世の中の「情報」は、書き手の意志が文字になったものであり、真実とは限りません。民間放送は、スポンサーが不機嫌になる話題は避けます。真実を知るには自分の私欲、邪念を消した客観的な目で観る必要があります。自社や社会のリーダーになる人は、観の目で世の中を観てもらいたいという意味で、私のコラムは「観の目」とさせて頂きました。その第一回は、日本人であることの意味を改めて見つめ直すというテーマで、日本語と日本人のルーツとしての縄文の世界に思いを馳せたいと思います。

我々はどこへ向かうか

 気忙しく文字が飛び交う時代になっています。1990年代にインターネットが始まり、メール交換が始まりました。便利ではあるが、書簡としてのマナーが壊れ出したことを危惧しました。書簡ではなく、掲示板と呼ぶのだと教えられました。掲示板であるから、誤字脱字、読み落としもある。やがて、拝啓も敬具もなく、タメ口と顔マークで感情を表す書体が日常になり、虚偽と炎上が流行語になりました。人間は五感の内、管面を覗く視覚情報だけが脳に直結する異常な動物に堕ちていきました。親殺し、子殺し、子供虐待がある動物は人間だけだそうです。情を忘れた情報通信の世、日本人はどこへ向かうのでしょう。
 
 そこで、まず日本語を少し省みてみます。漢字には音読みと訓読みとがあります。中国伝来の漢字は母国語に近い読みが音読みです。漢字の伝来は日本人にとって大変な革新でありましたが、当時使っていた話し言葉を、この漢字という文字にぶつけて生まれたのが、かな文字です。
 驚くべきは渡来人の漢字に占領され、中国語を話すようにならず、慣用の日本言葉を捨てずに漢字を受け入れ融合し、かな文字を発明した事です。外来文化を否定せず、良いとこ取りをして和風にすることを国風文化と呼びますが、現代に至るまで国風文化は脈々と続いています。しかも母国へ逆輸出までしています。日本ラーメンは上海でも人気で、日本カレーはインドでは高級料理、東京ディズニーランドの人気は世界一です。

縄文時代の「生かし合う文化」

 さて、漢字と話し言葉が合流した潮目の時代、初めて漢字で書かれた公式書簡が聖徳太子の十七条の憲法、娯楽に生かされたのが万葉集と聞きます。これを訓読みで読みました。訓読みは大和言葉と呼ばれ、その元は弥生、縄文時代からの承継ではないでしょうか。縄文時代は、おそらく定義のある左脳言葉もまだなく、他の動物と同じ、発生音を感性で受け止めていたのでしょう。言霊と呼ばれ、母音が主たる感情表現であったと言われます。現代でも日本語は、「すべての子音も余韻は母音」というのが特徴と言語学者は分析しています。「今日、来ますか」とすれば「きょうウ、きイまアすゥかア」の如しです。現代でも津軽弁では、私は「わ」、あなたは「な」と呼びます。「あ」は明るく、真言宗でも阿字観を第一としています。「い」は鋭く指し示し、「う」は腹から出る力、「え」は驚きと主張音、「お」は重々しい音です。このような音情で交流した生活風景をイメージしましょう。縄文時代、人々は海沿いに住み、魚介類、海草、木の実など自然を頂く食生活。彼らの働きは、得意を分かちあう生活であったと推定されます。
 
 その全体を司った生活規範は「生かし合う文化」ではなかったかと思います。遺骨を観察すると、約1万年に渡り戦争の痕跡がなく、平和な暮らしが持続した人々の生き方が彷彿とされます。この自然な味覚から育まれた感性は行住坐臥に渡り、旨みのある食のみならず、「もの作り」、「もてなし」などに広がっていきました。もてなしの由来は「持って成し」であり、得意を分かち合う心です。この分かち合う心は「和心」になり日本人の遺伝子になりました。現代との違いは、物々交換から取引が生まれ、拝金主義的な経済へ変化したことで格差が生まれた現代に対し、分かち合う文化には見返りを求めない生活が当たり前だったと考えられます。現代の異常なまでの拝金経済に対する改善議論では、ぜひ一考を要するライフスタイルと考えます。

日本人のこれから

 終身雇用制がなくなり、家族のあり方が多様化し、伝統も薄れた今日、日本は均質性と連帯感が崩壊しつつあると言われています。それにも関わらず、訪日外国人の増加は他国からは不思議と見られています。オリンピックという異国融合の祭典を機会に、ぜひ日本人の味覚と大和心というDNAを再考し、世界中の人々に競争よりも共創の豊かさを伝道しようではありませんか。

令和元年十月 田村新吾(株式会社ワンダーワークス代表取締役)

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