できるのに、できない

著者:稲葉康裕

できるのに、できない

こんにちは。私は、高校物理・化学の家庭教師や学習参考書執筆を生業としている者です。

いきなりですが、テレビでこんなシーンを見かけました。

どこかの中学校で定期試験が行われた後、先生方が集まって、この問題は正答率が悪かった、どうしてだろう、といった話し合いがなされています。

数学の試験で次のような問題の正答率が悪かったということです。
x-2+1x=0
この方程式を解け、という問題。

正解を示しておくと

両辺にxを掛けて
x2-2x+1=0
(x-1)2=0
∴x=1

先生方は、文字の分数の計算が分からなかったんじゃないか、といった分析をなさっていました。

しかし、私はこの事態の本質はそういうことではないと思っています。もっと深刻な問題が横たわっているのではないでしょうか。

両辺にxを掛けなさい、と言われれば、多分、できますよね。単に掛け算をしなさい、ということですから。そして、次の2次方程式を解くという操作、これも問題なくできる。しつこく、練習問題をやらされたでしょう。マスターしていますか?

そう、生徒のほとんどが、掛け算はできるし、2次方程式も解ける。この問題はその2つを理解していればできるはず。ところが

できるのに、できない

やれ、と言われればできるのに、自分ではできない
これ、どういうことなんでしょう。不思議ですね。

この「できるのに、できない」をもう少し詳しく分析すると

知っていても、先生にやれと言われないとできない
自分で自分なりに工夫して解こうという発想がない

この問題は、普通、次のように発想して解きます。

式の中に分数形の項があるな。
今までの経験からいって、分数形というのは取り扱いが難しい。
それなら、まず、分数形を解消しよう。
両辺にxをかければ、分数形は消えるな。
かけたら、見慣れた2次方程式の形になった。
これで解けたも同然だ。

ちょっと工夫しようとさえ思えば、さして難しい問題ではありません。実際、掛け算も2次方程式もほとんどの生徒が分かっている。ところが、工夫しようという発想がないために解けないんですね。

見たことがない問題だ。工夫してみよう、とは考えない。

見たことがない問題だ。見たことがない問題はできなくて当たり前だ。教えてもらってないのだから。教えてもらうのを待とう。

私が思うに、多くの生徒が

勉強とは、教科書や先生に言われたことを言われたとおりにやることだ

と思っているのではないでしょうか。

さらに

言われていないことを自分で勝手に考えたりしたら怒られる
言われた通り以外のことをしたらダメなんだ

とすら思っている。

ちがーーーう!これはとんでもない誤解です。そして、この誤解は、ケッコウ広く根強く存在しています。

勉強というのは、自分が知らないこと、分からないことを、自分で、ああでもないこうでもない、と考えて、自分なりの結論、解決策にたどり着くことです

言われたことを言われたままに従う、なんていうのは勉強ではありません。そんな勉強をしてもなにも得るものはありませんよ。

ただ言われたとおりやって正解するより、自分なりに考え抜いて間違う方がずっと価値があります。

先生に教えられたことをやるのが勉強ではなくて、むしろ、先生に教えられていないことをやるのが勉強です。

知らないことは分からない、ではなくて、どうしたら解けるだろう、どう工夫しよう、と好奇心をもって考えなくてはいけません。

自分で考えるということに意味があるし、その過程で、考えるスキルを身につけることこそが勉強の真の目的です。

しかし、学校というシステムが、先生が生徒に一方的に教えるというスタイルをとっているためか、勉強というのはやれと言われたことを言われたとおりにやることだ、という誤解が広く生じていると思います。

自由な発想というのは人間なら誰しも持っているものですが、学校生活を経るうちに、自分で工夫しようという精神が奪われてしまう。最後には、学校では自由な発想は禁じられているんだ、自分で工夫したりしたら怒られるんだ・・・

皆さんも、長年の学校生活で、知らないうちに、そんな思想が染みついていませんか。

常に意識して、勉強というのは強制されることだ、という思想に抵抗していないと、そういう思想に侵されてしまうと思います。

図を描いて解いたら怒られる!?

図を描いて解いたら怒られる!?

小学生に教えていたときの話です。

問題をやらせていたのですが、その子は図を描いて解きだしました。

(よし、よし、いいぞ)

と見ていたら、その子が恥ずかしそうに言いました。

「ボク、図描かなわかれへんねん…」

え?え?図を描いて解いていいんだよ?むしろ描かなくちゃ!

どうやら、その子の考えでは、

図を描いて解くという方法は先生に教えられてない、だから、こんな解き方しちゃダメなんだ、怒られるんだ

ということらしいのです。

いやいやいや、図を描こうが何をしようが自由だし、それで正解が出るのなら、もちろんそれでOKだよ。

教えられたことを教えられた通りにやるのが勉強だ、そうしないと怒られる…

もはや洗脳ですね。

勉強というのはですね、それまでの自分の知識・知恵を総動員して、具体的に考えてみたり、図を描いてみたり、ウラから透かしてみたり、斜めから角度を変えて見たり、おそらくこうだろうと推測してみたり、ありとあらゆる手段を用いて、自分なりの答え、自分らしい答えに到達することですよ。あるいはその過程で問題解決スキルを身につけることです。

ぶっちゃけ、たどり着いた答えが正解かどうかなんてどうでもいい。独力で試行錯誤することに意味があるのです。

「図描かなわかれへんねん…」と言われたときに、これはある意味恐ろしい洗脳が行き渡っているぞ、なんとかしなくちゃ、と思いましたね。

ホンモノの学力って?

先生が教えてくれることを覚えればいい、教科書をそらんじればいい、という勉強法の生徒はケッコウいると思います。

確かに、入試をパスするということだけなら、それもありでしょう。

でも、言われたことを覚えるだけ、なんて勉強は悲しくありませんか?

そういう勉強は、残念ながら世の中に出たときにほとんど役に立ちません。

学校で習う教科の内容自体は、はっきり言って、将来役に立たないです。

しかし、分からない問題に直面したとき、ああでもないこうでもないと試行錯誤し、考えに考え抜いた末に、こう考えればいいんだ!とたどり着く。こうして身につけた、問題解決のスキル、思考力、勉強法はどんな場面でも役に立つ本当の学力です。

わたしは、皆さんにこういう本物の学力を身につけて欲しい。

小学校の時から、先生に一方的に教えられる、間違えたら、テストで悪い点を取ったら、叱られる、こんなことを繰り返すうちに、「勉強=服従」という誤解が染みついてしまう。

私は、以前から、こういう現状をなんとかしたいと思っていました。著書のなかで物理の発想法を解説したり、ブログで勉強に対する考え方を紹介してきたのも、そういう思いがあったからです。

勉強の目的

勉強って、教えられたことを教えられた通りにやることだ、教えられた以外のことをやったら怒られる。

こんなふうに勘違いしている人がケッコウいると思うのです。

あなたはどうですか?そんなふうに思っていませんでしたか?これを読んで誤解が解けましたか?

自分で考えようという姿勢を持ってください。

自分で考えようとすることが勉強です。その過程で問題解決スキルを養うことが勉強の目的です。

言われたことを言われた通りにやるだけでは、なんの成長もありませんし、最後には、言われたことしかできない人間になってしまいます。

どうかあなたはそんな人間になりませんように。

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